09.27.09:12
[PR]
08.19.12:44
真冬の金魚
青い空はどこまでも広かった。夏特有の綿あめのように大きな雲も、目を細めるほどに眩しい太陽も、両手をいっぱいに広げたくなる空気も、何ものにも捕えられない自由があった。
「絵にも出来なければ、写真にも収まりきらないわ、この景色は。」
祖母の家の縁側に祖母と2人きり。私が空を見つめながらそう言うと、祖母はわっはっはと盛大に笑った。笑ったと同時に、パーマをあて2つに結ってある髪がバインバインと揺れたので、私はそっちに吹き出しそうになった。
都会の空は狭い。ビルの隙間から見える空はキュッとしていて、まるで建物に捕まってしまったようだ。きっと、金魚鉢の中の金魚が見ている景色と似ているのだろう。狭い、けれど、それが世界だった。
「都会が嫌なら、こっちに住めば良いじゃないか」
祖母が言った。それはそうであるが、そうもいかない。都会にないものがここにはあり、ここには無いものが都会にはある。私が返答に悩んでいると、なんぎだねえと呟きながら、祖母が氷の入った透明なグラスに、麦茶を注いだ。コポコポコポ、ピシッカラカラン。麦茶と氷の奏でる音が心地良かった。冷えた麦茶を注がれたグラスは、外気の熱に影響を受けて汗をかき、水滴がグラスを伝い、床に円を描いた。
私は床に這いつくばり、麦茶を通して空を見た。
「やっぱり空は綺麗ね。金魚もこんな気持ちで空を見ているのかしら。」
肉眼で見るのと違い、ゆらゆらと揺れる空。光はきらきらと水面を彩る。それは、海の中に沈んでしまったような、幻想的な光景にも見えた 。もうすぐ夏が終わる夕暮れ時。蝉の声は聞こえない。祖母は、何も答えなかった。
目を覚ますと、そこは祖母の家の縁側ではなく、自分の家の廊下だった。フローリングの床は冷たくて、手足がジィンと麻痺するほどまでに冷え切っていた。しばらく放心していると、突如廊下中に、キィキィとした母の怒鳴り声が響いた。
「あんた何やってるのそんなところで!風邪ひくわよ!」
突然のことで、心臓と肩が一緒に跳ねた。渋々体を起こし、眉を寄せ、頭を掻きながらその場にあぐらをかくと、邪魔よと、またもや叱咤され、私は廊下を後にすることとなった。そして、ぬくいこたつに移動したところで曖昧な意識が覚醒した。
「…あれ。」
あの夏は、とうに終わっていた。
こたつの上には、屋台でとってきた全身朱色の金魚が、まばたきもせず、透明な水槽の中で優雅に泳いでいた。エゴで人に飼われ、この金魚は可哀想だ。しかし、今更池に帰しても、金魚は水温やエサに苦労し、あげく自分がエサになってしまうのだろう。結局、人に飼われるしか術がない金魚は、やはり可哀想な存在だった。
「お前も水槽の世界は狭いかい?なんなら一緒に、今の環境を飛び出そうか。」
そう私が問いかけると、金魚は威嚇するように、思いきり水面を蹴った。びちゃっ。
『真冬の金魚』
(text 服部 YU里江)
- トラックバックURLはこちら